唐招提寺のそもそもの発端は
聖武天皇が仏教を日本に広める為に、当時唐から僧侶を連れてこようと考え、
遣唐使を派遣したことから始まります

しかし、日本みたいな遠い国に来てくれる僧侶もなく、最後の頼みとして
大唐国揚州大名寺の高僧「鑑真和上」にお願いにいったところ、
なんと本人が来てくれることとなったそうです。

12年間の苦難の末、日本への渡航
度重なる難航海と両目の失明という悲運に屈せず
鑑真は東大寺に戒壇を設け、多くの高僧に戒律を授けた「鑑真和上」
ここに、鑑真大和上像を奉安する御影堂(みえいどう)」があります

ひっそりと静まりかえり、華やかさのない、落ち着いた場所に
唐招提寺の復興につとめた鑑真和上が偲ばれます

唐とは「広く」、招提とは「四方の人々」の意で、
「仏教を修学する人々が広く四方から集まる僧伽でありたい」という和上の願いが、
寺名の由来となっているそうです。

- 2008/07/17(木) 10:21:50|
- 奈良
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
南都七大寺(なんとしちだいじ)とは、奈良時代に平城京(南都・奈良)周辺に存在して
朝廷の保護を受けた7つの大寺を指すようです
本日はその薬師寺よりお伝えします

境内の大伽藍はわが国随一の荘美を誇り、なかでも金堂や塔のたたずまいの美しさは
「龍宮造り」と呼ばれて、人々の目を奪ったそうです。
中門の二天王像は中国形式とやらで変わった姿でお出迎えです

そもそも薬師寺は
680年天武天皇が持統天皇の病気平癒の為に建てたられたお寺だそうです

中門から金堂が見渡せますが、只今工事中とあって
拝観できないのが残念・・・

幾度かの再建により
昭和51年に創建当初の様式のままに金堂が、昭和56年には西塔が再建されたそうでが
今尚工事が行なわれているお堂と違って
木陰の苔に、ひと時の涼をいただき先に進みます。

- 2008/07/15(火) 11:15:21|
- 奈良
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
約100種、200鉢の花蓮の鉢が境内を覆いつくす
奈良・喜光寺よりお届けしています

蓮のお寺として有名で
赤、白、黄色の蓮の中に浮かぶかの様に建つ本堂は
阿弥陀仏の極楽浄土を映しだしたかのようです。

弁天堂の周りには睡蓮の花が咲き
真っ白い花色に目を奪われ

わずかな数の紅色の睡蓮も見られます

開花時期は品種によって違うため、
喜光寺では6月下旬から8月上旬頃までが楽しめるそうです

- 2008/07/14(月) 10:39:19|
- 奈良
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
奈良県奈良市の喜蓮寺より蓮をお届けをしておりますが
ここでは鉢植えのハスが、約100種類、200鉢あるようです。

確かに色々な種類の蓮は夏の日差しを浴びながら
花の開閉は3回繰り返し、
4日目には花びらが散る。不思議な花です

また多くの仏典に「蓮華(れんげ)」の名で知られ、
仏像の台座にもその形がよく使われています

極楽浄土、神聖なる花
蓮の花言葉は、「救ってください」
なんとなく
お釈迦様に通じるものを感じます。

泥の中で咲く花だから一層美しいのでしょう

- 2008/07/11(金) 09:57:02|
- 奈良
-
| トラックバック:1
-
| コメント:0
奈良吉野の山奥を走っていると思いがけないものを発見しました。
こんなところだから残っているのでしょう
「重要文化財・片岡家」の案内板
当然ここは寄り道とまいります。

表門
江戸時代
天保3年(1832年)に建築されたものらしく
表札の名前が時代を感じ、お邪魔致します。

主屋に至っては
江戸時代(1670年)に建築されたものらしく
この地方の大庄屋さんだったそうです

あいにく工事中の為、外からの様子でしかありませんが
茅葺き屋根になつかしくもあり日本の建築を見せて頂きました。

しかし、江戸時代は障子風の玄関に1本の棒がカギなのですね?大丈夫かしら??
確かに時代は進化しています。

- 2008/07/03(木) 09:28:11|
- 奈良
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0